シドロモドロな日記 〜小説とかエッセイとか〜

【感想009:佐藤春夫:西班牙犬の家】と【マヨヒガ】

【佐藤春夫】 西班牙犬の家
☆とらっくばっく☆
  まずはトラックバック(参考)したブログ記事へ飛んでから読んだ方がいいよ!


 あらすじ
  雑木林の奥で西洋風の家を見つけ、忍び込んだ私とフラテ(犬)は……。短編。

 感想
  犬好きの作者がつづる今日のわんこ不思議物語。和やかで時間を忘れてしまいそうになるファンタジアな世界がみどころの作品。

 次に本文の引用から、主人公の<私>が瀟洒な窓からあやしい家の中を覗き込んだ場面。


――(前略)
この部屋の中央には、石で彫つて出来た大きな水盤があつてその高さは床の上から二尺とはないが、その真中のところからは、水が湧き立つて居て、水盤のふちからは不断に水がこぼれて居る。そこで水盤には青い苔が生えて、その付近の床――これもやつぱり石であつた――は少ししめつぽく見える。このこぼれた水が薔薇の中からきらきら光りながら蛇のやうにぬけ出してくる水なのだらうといふことは、後で考へて見て解つた。
(後略)――


  ジブリ映画にでも出てきそうな不思議でレトロな風景が思い浮かぶ。覗き込んだ部屋は石床であり、それには苔がむしていて、掘られた浅い水路には真空のように透明な清水がちょろちょろと流れている。そしてその水は家の外へとぬけ出て、薔薇の生い茂ったトンネルから外へと流れ出しているのだ。

 いいなぁ、こんな家にすみたいなぁ。可愛い奥さんと一緒に暮らしたいなぁ。

 とか、そんな煩悩的な気分にさせてくれる心地よい情景描写。このとき、佐藤はまだ二十四歳(?)でまだかなり若い頃だ。詩人の本領はまだ出てきていないけれど、その表現の節々にはやわらかな情緒ある感性が現れている感じがする。

 そしてさらに、ふと部屋の隅に目を向けると<私>は吸いかけの、まだ煙の立ち上るタバコを見つけるのだ。

――誰も居ない家に残された、まだ煙の上るタバコ。
――無人なのに……人の気配がする家。
――……まさか、



 ああ! まるで マヨヒガ(詳しくはここをくりっく☆) じゃないか! そうか遠野物語だったのかこれは?!

 トラックバック先の記事(くりっく!)を読んでいて気がついた新発見! なんか世界の秘密を一人知った気分だ!
 時系列的にも【遠野物語:明治四十三年】⇒【西班牙犬の家:大正五年】だからぴったりじゃないか!


 ……なんか、いっつも眠る寸前に記事書いてるから、支離滅裂になってる気がするけど、今日の感想はこのくらいでおしまいにしたいです。

 連日連夜読書感想文ってつかれますから、更新もうちょっとゆっくりペースにしようかなぁ……


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燃やされた手紙

  1965/01/19 Tue

 きみの声はよく響いた。きみが云った言葉は心地よく耳に残って、慣れ親しまれた散文詩のように何度聞いても飽きることはなかった。
 たとえば冬。吹き荒れる風声の物凄い音が恐ろしいくらいに聞こえる寒々しい夜。そんな夜には暖炉の前できみと夜更けまで話をした。私はそのことをだいたい憶えてしまっている。きみのつむぐお話はどれも私の子供心をくすぐって、わくわくとさせてくれた。話しをするときのきみの朗らかな表情はぽつぽつと燃える暖炉の灯りを浴びて情緒ある絵画の様だった。私はすっかりきみに陶酔していた。きみに目を奪われ、言葉に耳を澄まし、意識を霞ませてゆらゆらと揺り篭にいるような気持ちでいた。私はそんな詩人のようなきみの語り口を真似したかったけれどどうもうまくいかなかった。きみは私をとりこにする天才だったんだよ。きみのことを思うと私は優しい気持ちになれる。春の陽気をふんだんに含んだ羽毛のような、ぽかぽかとした懐かしいぬくもりが思い起こされる。それはぜんぶきみがくれたものだ。その宝がいまも私の荒んだ心を癒してくれる。
 私は元気に暮らしているが、きみはどうだろうか。返事をくれないから心配で仕方がない。いますぐきみに会いたい。けれどもうすぐ私のやっている研究の発表がある。最後となるこの研究論文はどうも他の人々には受け入れ難いものらしく、どうすれば理解してもらえるのか発表の仕方というやつを今調整している。もしきみがあの語り口で代弁をしてくれるのならきっと完璧な発表になるのだろうけれど……。私はもう一ヶ月近くろくに寝ていない。きみのいないちょっとの間に私の部屋は汚くなってしまった。こんなことを書くと心配されるかもしれないが忙しいわりに私はほんとに元気でやっているよ。一人でいるのは淋しいけれどきみの声の残響が慰めてくれるからまだ大丈夫だ。
 こんな短い手紙でほんとうに申し訳ない。実はいまチームのメンバーが家に来ていろいろとディスカッションをしていて、あの暖炉がある部屋は今とても賑やかだ。私はちょっとその輪を抜け出して、この手紙を書いている。この会議が終わったらいよいよ発表だ。それまでにすこし日があるけれども、その時間は部屋の掃除に当てるつもりだ。きみが帰ってきたらまた、あの暖炉の前の椅子に腰掛けてお話を聞かせてもらいたいから。
 最後に。一言でもいいから返事が欲しい。心配だ。そっちはずいぶん山奥らしいけれど、この時期は寒いからよく暖かくして風邪をひかないようにしてくれ。きみが無事に帰ってくるのを楽しみに待っているよ。


 R博士はこの手紙を出す直前に妻が別の男と駆け落ちしたことを友人から知らされた。手紙は誰にも読まれなかった。



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【感想008:佐藤春夫:月かげ】

【佐藤春夫】 月かげ

 あらすじ
  あるアヘン中毒者の見たうつくしい夜の夢を詩情とともに書きつづる。短編。

 感想

 【芥川龍之介】はこの作者、佐藤の作品をこう評している。

一、佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと言えるかも知れず。

二、されば作品の特色もその詩的なる点にあり。詩を求めずして佐藤の作品を読むものは、かぼちゃを食わんとしてこんにゃくを買うが如し。(後略)――


 この言を念頭において読まねば、この作品の面白さというのは到底理解しがたいものになる。僕は詩とかが好きだったからすんなり入れたけれど、いちおうこういうつもりで読め! というようなことをまずはじめに注意しておきたい。


  ところで、アヘン中毒者のことをオピアム・イーターという。この作品の主人公は偏屈だが、聡明な人間である。そんなオピアム・イーターが見た夢の描写は音の無いフィルムだけの映像となって再生され、読み手の方へ映像的、または詩的に訴えかけてくる。

 さっそく作品の一部分を引用してみる。

――(前略)
私は思ひ切つて窓かけをあけた。……見ると、目の下は一面の川である。玻璃板のやうに動かぬ水に、月がそつくり円い形のままでその上に浮かんでいる。やや遠い対岸の家家が、これも同じやうにはつきりと完全な形のままで影を落して居る。鏡のようなといふよりもこの水一面が鏡そのものでないのが不思議なほどである。――(中略)――若しこの静かな水の面へ、ひよつくりと美しい王女が現はれ出で、それにつれて沢山の腰元が後から後から無数に湧き出し、しとやかに葬列の人のように水の表面を行列でもして、この風景全体をお伽話にでもしてしまはない以上は、あまり平凡で我慢しきれたものではない。私はそう思ひながら
(後略)――


上述の【この水一面が鏡そのものでないのが不思議なほどである。】というような表現は詩人の感性でないと浮かんでこないものだと思う。
 ふつうは【「川が鏡のよう」】とは書けても【「鏡でないのが不思議なほど」】などとは書けやしないのだ。おそらく、この作者は実際に月光を反射する川を見て「鏡でないのが不思議なほど」だと感じたことがあったのだ。そういう、ちょっとふつうではない感性が、この短編の中にはおしげなく盛り込まれて、読み手の方へ流入して止まないのだ。

 そしてこの夢を見る主人公は【若しこの静かな水の面へ、ひよつくりと美しい王女が現はれ出で】などとまた突拍子も無いような、それでいて情緒にあふれた幻想をするのだ。そして、その挙句の果てには【この風景全体をお伽話にでもしてしまはない以上は、あまり平凡で我慢しきれたものではない】とまで行き着いてしまう。この奔流する感覚がこの短編の醍醐味であり、とにかく詩情というのもに作者の心血が注がれている作品なのだ。

 小説というと「物語性」を求められがちだが、そうではなく「文体の美しさ」または「文章の美しさ」が強く求められる場合もある。たまにはそういう細かい芸の部分へ視点を向けるのも、読書を楽しむ秘訣になる。

 僕はちょっとそういう傾向が強すぎて読む本が偏ってしまう。こんな僕がレビューしてていいのかと、すこし不安になる……


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【感想007:井上夢人:もつれっぱなし】

【井上夢人】 もつれっぱなし

 あらすじ
  なんと会話文のみで構成されたユーモアたっぷりの短編小説集。世にも奇妙な物語でドラマ化もされた名作「四十四年後の証明」も収録。

 感想
  知っているだろうか、十年以上前に世にも奇妙な物語で
 「2040年のメリークリスマス」というロマンチックSF恋愛ドラマが放送されたことを。
僕はこの夢人さんの原作よりもドラマの脚本の方がロマンチックで好きなのだけれど本のレビューということで原作の方を紹介しておく。

  この「もつれっぱなし」には6篇の話が収録されている。目次を引用してみる。


目次
 宇宙人の証明
 四十四年後の証明
 呪いの証明
 狼男の証明
 幽霊の証明
 嘘の証明


  これが全部男女の会話だけで進行していく。地の文は一切ない。この徹底した取り組みの姿勢がなんとも潔い。活字嫌いの小学生だって苦もなく読めるはずだ。

 僕はこういう面白い試みが好きだ。会話文だけと書くと、まるで手抜きのように思われるかもしれないが決してそうではない。実に流暢にユーモアを織り交ぜて男と女の会話が進行していく様は不思議なくらい気持ちのいいものだ。無理なくつなげられた二人の会話を読んでいると思わず「上手い!」と唸ってしまう。話の結末も予想のつかないトリッキーなものが多い。というか、そもそも話のアイデア自体がすでに面白い。
 読者の想像を駆り立てる締めのある終わり方は決していい加減な仕事ではない。プロの仕事だ。その妙技が味わいのあるカプチーノのような読後感をうんでいるのだ。

 井上夢人さんの本はこれを含めて三冊ほど読んだけど、この「もつれっぱなし」が一番面白いと思った。僕が短編小説が好きなのもあるけれど、やはりドラマ化された「四十四年後の証明」の存在が大きい。小学生の頃に見たあのドラマの強烈な残像が十年経った今でもくっきりと眼の裏に焼きついている。これを読むとドラマ化された理由がはっきりとわかる。とても切ない話でいつまでも心に残るめずらしいロマンチックSF作品だと思う。

 いままで読んできた短編小説の中でも僕の一押しが「2040年のメリークリスマス」こと「四十四年後の証明」だ。ほんとうにお勧め、イチオシ。


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【小説のアイデア】 〜奇想のとっかかり〜

 小説を読んでいる人はまちがいなく「自分もこんな面白い小説を書いてみたい!」と思う。いや、きっと思ってるはずだ。
 でも一本のまとまった小説を書き上げるにはいろいろの壁がある。それをおおざっぱに三つに分けてみた。

 障害1.テーマやアイデアの不足
 障害2.文章の巧拙
 障害3.モチベーション


 この三つが障害になると思う。でも逆を言えば「この三つをクリアすれば小説が書ける」ということになる。ふしぎだね! だね!


 打開策1. テーマやアイデアの獲得

   これは作品の質に影響を及ぼすものだ。いい小説を書きたいならば、推理小説でも恋愛小説でも観念小説でも良いアイデアとテーマは必要だ。良いアイデアとテーマを出した、ノーベル賞作家の例を見てみる。

 【ジョゼ・サラマーゴ】 白の闇
 作品のテーマとアイデア

  眼が見えなくなる病気が世界中に広がって大混乱になってしまう。
  その状況で人間はいったいどういう行動を取るのか。
  そこから見えてくる人間の本性とは何か?


 もうこれだけで面白そうな小説の匂いがぷんぷんしてくる。面白いテーマやアイデアは人の感性をくすぐる。こういう奇想は日本人の作家だと安部公房なんかが良い例だと思う。乙一さんなんかも僕は好きだ(最近はあまり執筆しないけれど……)。

 どうやってジョゼ・サラマーゴはこの「白の闇」を書いたのだろう? 僕は知らない。だから勝手に考えてみた。

 仮説1.ジョゼには人間の病気や精神について学問的な知識があった。
 仮説2.ジョゼは人間の本質を書きたいという気持ちが強くあった。
 仮説3.ある日、それらが結びついて目の病気によって人間の本性が剥き出しになるというアイデアが浮かんだ。


 まず第一にアイデアを発生しうるだけの知識が必要になる。よく、作家がいろいろな本を読んだり、経験を積んだりするのはアイデアを欲するがためだともいえる。いろいろな視点から物事を見れるようになることが必要だ。奇想のとっかかりはこういうものだと僕は思う。
 そして描きたいテーマが必要だ。もしもテーマが人間の本質に着眼されていないとまったく違った内容になる。

テーマがB級ホラーの場合
 恐怖の奇病は人を狂気に駆り立てた!
 さあ、唯一の治療薬をめぐって壮絶な殺し合いが始まった!


テーマが恋愛の場合
 目が見えなくなってもずっと一緒だよ。
 二人で力をあわせていけばきっと上手くから。


テーマがSFサスペンスの場合
 パニックに陥った世界を平定すべく国連は緊急の議会を開く。
 各国の思惑がうごめく中、大国が宇宙人の存在をほのめかしたことで事態は急転を迎える。


 あのジョゼの奇想をSFサスペンスに応用するととんでもないヘボな作品が出来上がると確信できる。テーマはアイデアとよく適合してくれるもの、説得力のあるようなものを選ばなければならない。

 また知識や経験を増やすことでテーマやアイデアが生まれる機会を作ることが出来る。知識を増やすのにお勧めなのがエッセイと随筆だ。百科事典や歴史、民俗学なんかも面白いことがいろいろと書いてある。アルバイトや恋愛をしてみるのもいいかもしれない。


 打開策2. 文章の上達

  文を書くことはむずかしい。僕の場合、すらすらと筆が進むなんてことはまずない。頭が悪いのはあまり関係ないと思う、そう思いたい。では、書きたいことが定まっているのに書けないというのはどうしてだろう?

 語彙や表現はじみちに増やすしかないので放っておこう。表現技法もえらい作家の本を読んで学ぶしかないので放っておこう。僕らにできることはひたすら本を読み、日々文章について考え、そして文章を書いてみることだ。この三つのことを心がけるしかないのだ。

 よくいろんな作家の文章読本なるものが売られているが、どんなに良い指南書も一朝一夕には上達に導いてくれない。近道はない。くじけてもめげても、鍛錬するしかない。偉そうなことを書いたけれどかねがね真実だと思う。

 ……でも、僕は好きな本しか読まない。ちょっとでも苦痛になってきたらその作品を放り出して他の作品を読み始める。がまんできない。気に入ったものだけを何度も読み返す。飽きもせず子供みたいに読みふける。偏ってもいいからとにかく読む。それが糧になって、個性になったり実力になったりするはずだと、そう思っている。


 打開策3. モチベーションの向上

  人間は浮き沈みがある。僕は飽きっぽいので好きなことしか持続できない。持続しても、一ヶ月間本を読まないでいたり、文を書かないでいたりする。突拍子もなく情熱が矛先を変えて、へたくそな絵を描き始めたりもする。三日坊主とかもかなり得意分野で、つけ始めた日記が即日で終了することも二度や三度じゃない。
 僕はことあるごとにこう思う。

 僕はなんなんだ? どうすれば勤勉なやつになれるんだ?

 ……つまり、モチベーションの向上方法なんてあるのならむしろ僕が教えて欲しい。
 酸いも甘いも噛み分けて、分別のある大人になって、好き嫌いも食わず嫌いもなくなって、成績や給与の上下に一喜一憂せず、敢然とひたすら前を歩み続ける。そんな人間に僕はなりたい。

 でも、もし本当にそうなったらそれはそれで大変そうだ。きっと職場では部下や同僚に慕われて飲み会には引っ張りダコだろう。上司からの信頼も厚く、大きな仕事を任されるに違いない。バレンタインの日には大荷物で家に帰り、ホワイトデーではお返しの品選びに骨を折るだろう。美人で優しい僕の妻もさびしがって嫉妬して、出勤の時には四人のかわいい子供たちから「パパー! お仕事行っちゃダメー!」とか言って玄関で泣きつかれるだろう。

 ……あぁ、そういうのもいいけれど、きっと疲れると思う。僕はワレモノ危険のラベルが貼られているのだ。そんなに頑丈に出来ていない。ひょっとしたら心労や疲労が蓄積して過労死するかもしれない。

 あぁ、過労死はイヤだ。やっぱり今のままでいい。無理してもろくなことにはならないのだ。僕はちょっと微妙な感じの人間だけど、とりわけ才能もないけど、今のままでいいのだ。成績の上下に一喜一憂していればいいのだ。あの子の視線にギクシャクしていていいのだ。
 最近になって……そう思えるようになってきた。僕はもう、立派な人になることをあきらめたのだ。

 それでも自分を磨こうとして「加藤諦三:人を動かす心理学 自分にあったリーダーシップを発揮する」とかいう情けない人向けの本読んだりすることがある。精神的に向上心のない者はバカなんだ! と、どうにか自分に言い聞かせて自尊心を守っている。未練がましいとか言わないで欲しい、僕は人間なのだ、こういうのは仕方ないのだ。



 まとめ
 なんだか最後は小説作法からずれてしまったけれど、人間は浮き沈みがあって当たり前だと思う。うつ病になったりそう病を患ったりするのも当たり前のことなのだ。あああああああああああああ芥川も気を病んだし、志賀直哉や太宰なんかはその筆頭だし、世界でもポー、トルストイ、ゲーテ、ボードレールとかいろいろetc.etc.etc.……

 小説にはその作家の辛苦が血の跡のように滲んで見えるものだと思う。本気で書いたならその思いが文体やらなにやらに表れてくるものなのだと、そう思っている。苦労して書けば、きっとその苦労して書いた文章を認めてくれるのだ。そういう認められる一瞬を求めて努力していくことが小説を書くのに一番大切なものだと思う。