【佐藤春夫】 月かげ
あらすじ
あるアヘン中毒者の見たうつくしい夜の夢を詩情とともに書きつづる。短編。
感想
【芥川龍之介】はこの作者、佐藤の作品をこう評している。
一、佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと言えるかも知れず。
二、されば作品の特色もその詩的なる点にあり。詩を求めずして佐藤の作品を読むものは、かぼちゃを食わんとしてこんにゃくを買うが如し。(後略)――
この言を念頭において読まねば、この作品の面白さというのは到底理解しがたいものになる。僕は詩とかが好きだったからすんなり入れたけれど、いちおうこういうつもりで読め! というようなことをまずはじめに注意しておきたい。
ところで、アヘン中毒者のことをオピアム・イーターという。この作品の主人公は偏屈だが、聡明な人間である。そんなオピアム・イーターが見た夢の描写は音の無いフィルムだけの映像となって再生され、読み手の方へ映像的、または詩的に訴えかけてくる。
さっそく作品の一部分を引用してみる。
――(前略)
私は思ひ切つて窓かけをあけた。……見ると、目の下は一面の川である。玻璃板のやうに動かぬ水に、月がそつくり円い形のままでその上に浮かんでいる。やや遠い対岸の家家が、これも同じやうにはつきりと完全な形のままで影を落して居る。鏡のようなといふよりもこの水一面が鏡そのものでないのが不思議なほどである。――(中略)――若しこの静かな水の面へ、ひよつくりと美しい王女が現はれ出で、それにつれて沢山の腰元が後から後から無数に湧き出し、しとやかに葬列の人のように水の表面を行列でもして、この風景全体をお伽話にでもしてしまはない以上は、あまり平凡で我慢しきれたものではない。私はそう思ひながら
(後略)――
上述の【この水一面が鏡そのものでないのが不思議なほどである。】というような表現は詩人の感性でないと浮かんでこないものだと思う。
ふつうは【「川が鏡のよう」】とは書けても【「鏡でないのが不思議なほど」】などとは書けやしないのだ。おそらく、この作者は実際に月光を反射する川を見て「鏡でないのが不思議なほど」だと感じたことがあったのだ。そういう、ちょっとふつうではない感性が、この短編の中にはおしげなく盛り込まれて、読み手の方へ流入して止まないのだ。
そしてこの夢を見る主人公は【若しこの静かな水の面へ、ひよつくりと美しい王女が現はれ出で】などとまた突拍子も無いような、それでいて情緒にあふれた幻想をするのだ。そして、その挙句の果てには【この風景全体をお伽話にでもしてしまはない以上は、あまり平凡で我慢しきれたものではない】とまで行き着いてしまう。この奔流する感覚がこの短編の醍醐味であり、とにかく詩情というのもに作者の心血が注がれている作品なのだ。
小説というと「物語性」を求められがちだが、そうではなく「文体の美しさ」または「文章の美しさ」が強く求められる場合もある。たまにはそういう細かい芸の部分へ視点を向けるのも、読書を楽しむ秘訣になる。
僕はちょっとそういう傾向が強すぎて読む本が偏ってしまう。こんな僕がレビューしてていいのかと、すこし不安になる……
応援する!


あらすじ
あるアヘン中毒者の見たうつくしい夜の夢を詩情とともに書きつづる。短編。
感想
【芥川龍之介】はこの作者、佐藤の作品をこう評している。
一、佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと言えるかも知れず。
二、されば作品の特色もその詩的なる点にあり。詩を求めずして佐藤の作品を読むものは、かぼちゃを食わんとしてこんにゃくを買うが如し。(後略)――
この言を念頭において読まねば、この作品の面白さというのは到底理解しがたいものになる。僕は詩とかが好きだったからすんなり入れたけれど、いちおうこういうつもりで読め! というようなことをまずはじめに注意しておきたい。
ところで、アヘン中毒者のことをオピアム・イーターという。この作品の主人公は偏屈だが、聡明な人間である。そんなオピアム・イーターが見た夢の描写は音の無いフィルムだけの映像となって再生され、読み手の方へ映像的、または詩的に訴えかけてくる。
さっそく作品の一部分を引用してみる。
――(前略)
私は思ひ切つて窓かけをあけた。……見ると、目の下は一面の川である。玻璃板のやうに動かぬ水に、月がそつくり円い形のままでその上に浮かんでいる。やや遠い対岸の家家が、これも同じやうにはつきりと完全な形のままで影を落して居る。鏡のようなといふよりもこの水一面が鏡そのものでないのが不思議なほどである。――(中略)――若しこの静かな水の面へ、ひよつくりと美しい王女が現はれ出で、それにつれて沢山の腰元が後から後から無数に湧き出し、しとやかに葬列の人のように水の表面を行列でもして、この風景全体をお伽話にでもしてしまはない以上は、あまり平凡で我慢しきれたものではない。私はそう思ひながら
(後略)――
上述の【この水一面が鏡そのものでないのが不思議なほどである。】というような表現は詩人の感性でないと浮かんでこないものだと思う。
ふつうは【「川が鏡のよう」】とは書けても【「鏡でないのが不思議なほど」】などとは書けやしないのだ。おそらく、この作者は実際に月光を反射する川を見て「鏡でないのが不思議なほど」だと感じたことがあったのだ。そういう、ちょっとふつうではない感性が、この短編の中にはおしげなく盛り込まれて、読み手の方へ流入して止まないのだ。
そしてこの夢を見る主人公は【若しこの静かな水の面へ、ひよつくりと美しい王女が現はれ出で】などとまた突拍子も無いような、それでいて情緒にあふれた幻想をするのだ。そして、その挙句の果てには【この風景全体をお伽話にでもしてしまはない以上は、あまり平凡で我慢しきれたものではない】とまで行き着いてしまう。この奔流する感覚がこの短編の醍醐味であり、とにかく詩情というのもに作者の心血が注がれている作品なのだ。
小説というと「物語性」を求められがちだが、そうではなく「文体の美しさ」または「文章の美しさ」が強く求められる場合もある。たまにはそういう細かい芸の部分へ視点を向けるのも、読書を楽しむ秘訣になる。
僕はちょっとそういう傾向が強すぎて読む本が偏ってしまう。こんな僕がレビューしてていいのかと、すこし不安になる……
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