青白い空気をした早朝の都心で、僕はマクドナルドの二階にいる。喫煙席ではない。窓側の、通りを見下ろすガラス窓のカウンターに座っててりやきマックバーガーセットを食べている。カウンターに白いエナメルのショルダーバッグと新潮文庫が一冊、それと使い古したSH901ic置いて、コーラを飲んでいる。
その僕の後方5メートルほどのところに喫煙エリアがある。喫煙エリアは透明なアクリル板で区切られて十席ほどの容積がある。そこには出勤前のOLと女子高生の二人組、電気工事者の装いをした壮年の男性などがいる。彼等(彼女等)はタバコを吸っていたり、いなかったりする。
さて、タバコ1箱270円前後。
新潮文庫1冊500円前後、安いものは380円ほど。
僕はタバコを吸わない、喉が弱いからだと思う。兄は吸っていたが止めた。姉は今も吸っている。喫煙者の遺伝子というものが存在するなら僕もそういう遺伝子を持っているのだと思うが、喉が弱いために吸っていない。かわりに僕は本を読む。姉は少し本を読むけれど兄はほとんど読まない。素質はあるのだと思う。
読書の価値とタバコを吸うことの価値を比べてみようと思った。
そういうつもりでこれを書き始めた。
しかしもう、それは不毛な作業のように思える。
僕は充実と虚心のために読書をしていて、ならば同じように、喫煙者も充実と虚心のためにタバコを吸っているのではないか。どちらも嗜好品でしかない。僕にとっての読書は嗜好でしかない。それは生活のスタイルでもある。姉の吸うタバコも生活のスタイルであり、嗜好なのだと思う。
僕はがしがし本を買うし、姉はすぱすぱタバコを吸う。どちらが無駄でどちらが中毒なのかはよくわからない。ただ、静謐な表情で姉が本を読んでいる姿より、一本のか細いタバコを吸っている横顔の方がカッコよく見えてしまうことがある。そのとき、僕は「ああ、また負けた」と思ってしまうのだ。
応援する!


その僕の後方5メートルほどのところに喫煙エリアがある。喫煙エリアは透明なアクリル板で区切られて十席ほどの容積がある。そこには出勤前のOLと女子高生の二人組、電気工事者の装いをした壮年の男性などがいる。彼等(彼女等)はタバコを吸っていたり、いなかったりする。
さて、タバコ1箱270円前後。
新潮文庫1冊500円前後、安いものは380円ほど。
僕はタバコを吸わない、喉が弱いからだと思う。兄は吸っていたが止めた。姉は今も吸っている。喫煙者の遺伝子というものが存在するなら僕もそういう遺伝子を持っているのだと思うが、喉が弱いために吸っていない。かわりに僕は本を読む。姉は少し本を読むけれど兄はほとんど読まない。素質はあるのだと思う。
読書の価値とタバコを吸うことの価値を比べてみようと思った。
そういうつもりでこれを書き始めた。
しかしもう、それは不毛な作業のように思える。
僕は充実と虚心のために読書をしていて、ならば同じように、喫煙者も充実と虚心のためにタバコを吸っているのではないか。どちらも嗜好品でしかない。僕にとっての読書は嗜好でしかない。それは生活のスタイルでもある。姉の吸うタバコも生活のスタイルであり、嗜好なのだと思う。
僕はがしがし本を買うし、姉はすぱすぱタバコを吸う。どちらが無駄でどちらが中毒なのかはよくわからない。ただ、静謐な表情で姉が本を読んでいる姿より、一本のか細いタバコを吸っている横顔の方がカッコよく見えてしまうことがある。そのとき、僕は「ああ、また負けた」と思ってしまうのだ。
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Comment*1
二十歳を過ぎた僕に対して姉は言う。
「Mさんはアキラよりアホやわ」
Mさんとは姉の彼氏さんのことである。
彼氏さんと僕(アキラ)とは一ダースあまりも年齢が離れているのだけれど、姉はそう言ってはばからない。
知り合って6年、つきあってX年。きっと二人は考え方とか、モノの好みとか、いろいろな違いを暴露しあっているのだと思う。それを踏まえて彼氏さんと僕とでは、僕の方が賢いと言う結論に姉は達したのだ。
これは恐ろしいことだ。
二十歳をこえたら皆、大人になってしまったらしい。
Mさんも僕も、姉も母も、兄も従妹のMちゃんも。
みんな、高校生とか女子学生とか店長とか看護師とか、そういう垣根を越えたもっと大きな概念でひと括りにされてしまったのだ。そして仕分けが済んだら続いて順位付けがはじまる。一人一人が評価をつけていく。
「あいつよりもアキラは馬鹿だな」 「あのひとは頭がいいけど、アキラくんは……」 「アキラ君に比べてあの子はよく気が利くなぁ」 「お前は変なやつだけどいいやつだよな、奇妙なだけのアキラとはちがうなぁ」
身の毛がよだつ。
僕はいつのまにか、姉の中で大人の土俵入りをしていたのだ。いや、姉の中ばかりではない。そういえば最近になって「大人になったのねぇ」と親戚や近所のおばさん、出前のお姉さんによく言われる。そして決まって「立派になったのね」とか、尾ひれがついてくる。でもそれは本当に立派になったということではないのだ。単に見かけや年齢が大人になったと、そういう意味なのだ。
ああ、きっとこれからもどんどん僕にラベルが張られていくんだろうなと感じる。そして個人がつけた僕に対する評価は一定のコミュニティの中である程度共有されて、僕というキャラ付けがなされるのだ。
僕のキャラってどんなんだろうか?
ちょっとラベルをめくってみても、どうしてかラベルは僕の目には見えない仕組みになっている。馬鹿には見えないラベルなのかもしれない。これはもう、かなり困った。
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「Mさんはアキラよりアホやわ」
Mさんとは姉の彼氏さんのことである。
彼氏さんと僕(アキラ)とは一ダースあまりも年齢が離れているのだけれど、姉はそう言ってはばからない。
知り合って6年、つきあってX年。きっと二人は考え方とか、モノの好みとか、いろいろな違いを暴露しあっているのだと思う。それを踏まえて彼氏さんと僕とでは、僕の方が賢いと言う結論に姉は達したのだ。
これは恐ろしいことだ。
二十歳をこえたら皆、大人になってしまったらしい。
Mさんも僕も、姉も母も、兄も従妹のMちゃんも。
みんな、高校生とか女子学生とか店長とか看護師とか、そういう垣根を越えたもっと大きな概念でひと括りにされてしまったのだ。そして仕分けが済んだら続いて順位付けがはじまる。一人一人が評価をつけていく。
「あいつよりもアキラは馬鹿だな」 「あのひとは頭がいいけど、アキラくんは……」 「アキラ君に比べてあの子はよく気が利くなぁ」 「お前は変なやつだけどいいやつだよな、奇妙なだけのアキラとはちがうなぁ」
身の毛がよだつ。
僕はいつのまにか、姉の中で大人の土俵入りをしていたのだ。いや、姉の中ばかりではない。そういえば最近になって「大人になったのねぇ」と親戚や近所のおばさん、出前のお姉さんによく言われる。そして決まって「立派になったのね」とか、尾ひれがついてくる。でもそれは本当に立派になったということではないのだ。単に見かけや年齢が大人になったと、そういう意味なのだ。
ああ、きっとこれからもどんどん僕にラベルが張られていくんだろうなと感じる。そして個人がつけた僕に対する評価は一定のコミュニティの中である程度共有されて、僕というキャラ付けがなされるのだ。
僕のキャラってどんなんだろうか?
ちょっとラベルをめくってみても、どうしてかラベルは僕の目には見えない仕組みになっている。馬鹿には見えないラベルなのかもしれない。これはもう、かなり困った。
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うちの工学教授はよくたとえ話をする。
「君たちさぁ、けっこう賢いよね。うん。見てて思うんだよ。うちの犬よりはかしこいなぁって」
僕らはとうぜん憤慨する。犬より賢いってそりゃ当たり前だろうと、でも、なぜかちょっと嬉しくなったりするのは僕が負け犬根性だからか。
「いや、だって犬ってけっこう賢いでしょ? うちの犬はね、けっこう値が張るいい犬なんだけどね、ほら、雑種とかじゃなくって血統書付きの」
ここでふと思った。
僕ら人間にも雑種とか血統とかいうのがあるのだろうかと。雑種と血統書付きとの違いってどんなものなんだ? ひいひいお爺ちゃんが中国人だったりしたら、僕は雑種なのだろうか。それともひいひいひいお爺ちゃんがロシア人だったら雑種なのだろうか。
どこからが雑種の境界なんだろう。
「まぁ、俺がね、芸を教えようとするんだけどね。なかなか言うこと聞いてくんないわけよ。一ヶ月くらいおんなじこと繰り返し繰り返し言って、やらせてようやく覚えてくれるわけ。でもさぁ、君らって一回言ったら分かるでしょ? そこのペンチ取ってっていったらすぐ取ってくれるじゃん? 『先生! ぺんちって何ですか?!』 とか聞かないでしょ? ペンチ取らせるのに一ヶ月も訓練が必要だったりしないでしょ? だからさぁ、人間って言うのはよくできてるなぁって、俺は思うわけよ」
僕はこの教授がけっこう好きだったりする。変な話をしてくれて面白いからだ。
「だから、こういうややこしい数式(ベルヌーイの定理)見ても理解出来る頭は持ってんだからさぁ。もっと勉強しようよ。君ら」
話の締めに叱咤してくれたりするので僕は助かったりする。僕は生来あんまり根性のない方なので、怒られたり、褒められたり、そうやって刺激されてやっと勉強する気が起きてくる。こういう刺激を与えてくれる先生が僕は好きだ。
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「君たちさぁ、けっこう賢いよね。うん。見てて思うんだよ。うちの犬よりはかしこいなぁって」
僕らはとうぜん憤慨する。犬より賢いってそりゃ当たり前だろうと、でも、なぜかちょっと嬉しくなったりするのは僕が負け犬根性だからか。
「いや、だって犬ってけっこう賢いでしょ? うちの犬はね、けっこう値が張るいい犬なんだけどね、ほら、雑種とかじゃなくって血統書付きの」
ここでふと思った。
僕ら人間にも雑種とか血統とかいうのがあるのだろうかと。雑種と血統書付きとの違いってどんなものなんだ? ひいひいお爺ちゃんが中国人だったりしたら、僕は雑種なのだろうか。それともひいひいひいお爺ちゃんがロシア人だったら雑種なのだろうか。
どこからが雑種の境界なんだろう。
「まぁ、俺がね、芸を教えようとするんだけどね。なかなか言うこと聞いてくんないわけよ。一ヶ月くらいおんなじこと繰り返し繰り返し言って、やらせてようやく覚えてくれるわけ。でもさぁ、君らって一回言ったら分かるでしょ? そこのペンチ取ってっていったらすぐ取ってくれるじゃん? 『先生! ぺんちって何ですか?!』 とか聞かないでしょ? ペンチ取らせるのに一ヶ月も訓練が必要だったりしないでしょ? だからさぁ、人間って言うのはよくできてるなぁって、俺は思うわけよ」
僕はこの教授がけっこう好きだったりする。変な話をしてくれて面白いからだ。
「だから、こういうややこしい数式(ベルヌーイの定理)見ても理解出来る頭は持ってんだからさぁ。もっと勉強しようよ。君ら」
話の締めに叱咤してくれたりするので僕は助かったりする。僕は生来あんまり根性のない方なので、怒られたり、褒められたり、そうやって刺激されてやっと勉強する気が起きてくる。こういう刺激を与えてくれる先生が僕は好きだ。
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小説を読んでいる人はまちがいなく「自分もこんな面白い小説を書いてみたい!」と思う。いや、きっと思ってるはずだ。
でも一本のまとまった小説を書き上げるにはいろいろの壁がある。それをおおざっぱに三つに分けてみた。
障害1.テーマやアイデアの不足
障害2.文章の巧拙
障害3.モチベーション
この三つが障害になると思う。でも逆を言えば「この三つをクリアすれば小説が書ける」ということになる。ふしぎだね! だね!
打開策1. テーマやアイデアの獲得
これは作品の質に影響を及ぼすものだ。いい小説を書きたいならば、推理小説でも恋愛小説でも観念小説でも良いアイデアとテーマは必要だ。良いアイデアとテーマを出した、ノーベル賞作家の例を見てみる。
【ジョゼ・サラマーゴ】 白の闇
作品のテーマとアイデア
眼が見えなくなる病気が世界中に広がって大混乱になってしまう。
その状況で人間はいったいどういう行動を取るのか。
そこから見えてくる人間の本性とは何か?
もうこれだけで面白そうな小説の匂いがぷんぷんしてくる。面白いテーマやアイデアは人の感性をくすぐる。こういう奇想は日本人の作家だと安部公房なんかが良い例だと思う。乙一さんなんかも僕は好きだ(最近はあまり執筆しないけれど……)。
どうやってジョゼ・サラマーゴはこの「白の闇」を書いたのだろう? 僕は知らない。だから勝手に考えてみた。
仮説1.ジョゼには人間の病気や精神について学問的な知識があった。
仮説2.ジョゼは人間の本質を書きたいという気持ちが強くあった。
仮説3.ある日、それらが結びついて目の病気によって人間の本性が剥き出しになるというアイデアが浮かんだ。
まず第一にアイデアを発生しうるだけの知識が必要になる。よく、作家がいろいろな本を読んだり、経験を積んだりするのはアイデアを欲するがためだともいえる。いろいろな視点から物事を見れるようになることが必要だ。奇想のとっかかりはこういうものだと僕は思う。
そして描きたいテーマが必要だ。もしもテーマが人間の本質に着眼されていないとまったく違った内容になる。
テーマがB級ホラーの場合
恐怖の奇病は人を狂気に駆り立てた!
さあ、唯一の治療薬をめぐって壮絶な殺し合いが始まった!
テーマが恋愛の場合
目が見えなくなってもずっと一緒だよ。
二人で力をあわせていけばきっと上手くから。
テーマがSFサスペンスの場合
パニックに陥った世界を平定すべく国連は緊急の議会を開く。
各国の思惑がうごめく中、大国が宇宙人の存在をほのめかしたことで事態は急転を迎える。
あのジョゼの奇想をSFサスペンスに応用するととんでもないヘボな作品が出来上がると確信できる。テーマはアイデアとよく適合してくれるもの、説得力のあるようなものを選ばなければならない。
また知識や経験を増やすことでテーマやアイデアが生まれる機会を作ることが出来る。知識を増やすのにお勧めなのがエッセイと随筆だ。百科事典や歴史、民俗学なんかも面白いことがいろいろと書いてある。アルバイトや恋愛をしてみるのもいいかもしれない。
打開策2. 文章の上達
文を書くことはむずかしい。僕の場合、すらすらと筆が進むなんてことはまずない。頭が悪いのはあまり関係ないと思う、そう思いたい。では、書きたいことが定まっているのに書けないというのはどうしてだろう?
語彙や表現はじみちに増やすしかないので放っておこう。表現技法もえらい作家の本を読んで学ぶしかないので放っておこう。僕らにできることはひたすら本を読み、日々文章について考え、そして文章を書いてみることだ。この三つのことを心がけるしかないのだ。
よくいろんな作家の文章読本なるものが売られているが、どんなに良い指南書も一朝一夕には上達に導いてくれない。近道はない。くじけてもめげても、鍛錬するしかない。偉そうなことを書いたけれどかねがね真実だと思う。
……でも、僕は好きな本しか読まない。ちょっとでも苦痛になってきたらその作品を放り出して他の作品を読み始める。がまんできない。気に入ったものだけを何度も読み返す。飽きもせず子供みたいに読みふける。偏ってもいいからとにかく読む。それが糧になって、個性になったり実力になったりするはずだと、そう思っている。
打開策3. モチベーションの向上
人間は浮き沈みがある。僕は飽きっぽいので好きなことしか持続できない。持続しても、一ヶ月間本を読まないでいたり、文を書かないでいたりする。突拍子もなく情熱が矛先を変えて、へたくそな絵を描き始めたりもする。三日坊主とかもかなり得意分野で、つけ始めた日記が即日で終了することも二度や三度じゃない。
僕はことあるごとにこう思う。
僕はなんなんだ? どうすれば勤勉なやつになれるんだ?
……つまり、モチベーションの向上方法なんてあるのならむしろ僕が教えて欲しい。
酸いも甘いも噛み分けて、分別のある大人になって、好き嫌いも食わず嫌いもなくなって、成績や給与の上下に一喜一憂せず、敢然とひたすら前を歩み続ける。そんな人間に僕はなりたい。
でも、もし本当にそうなったらそれはそれで大変そうだ。きっと職場では部下や同僚に慕われて飲み会には引っ張りダコだろう。上司からの信頼も厚く、大きな仕事を任されるに違いない。バレンタインの日には大荷物で家に帰り、ホワイトデーではお返しの品選びに骨を折るだろう。美人で優しい僕の妻もさびしがって嫉妬して、出勤の時には四人のかわいい子供たちから「パパー! お仕事行っちゃダメー!」とか言って玄関で泣きつかれるだろう。
……あぁ、そういうのもいいけれど、きっと疲れると思う。僕はワレモノ危険のラベルが貼られているのだ。そんなに頑丈に出来ていない。ひょっとしたら心労や疲労が蓄積して過労死するかもしれない。
あぁ、過労死はイヤだ。やっぱり今のままでいい。無理してもろくなことにはならないのだ。僕はちょっと微妙な感じの人間だけど、とりわけ才能もないけど、今のままでいいのだ。成績の上下に一喜一憂していればいいのだ。あの子の視線にギクシャクしていていいのだ。
最近になって……そう思えるようになってきた。僕はもう、立派な人になることをあきらめたのだ。
それでも自分を磨こうとして「加藤諦三:人を動かす心理学 自分にあったリーダーシップを発揮する」とかいう情けない人向けの本読んだりすることがある。精神的に向上心のない者はバカなんだ! と、どうにか自分に言い聞かせて自尊心を守っている。未練がましいとか言わないで欲しい、僕は人間なのだ、こういうのは仕方ないのだ。
まとめ
なんだか最後は小説作法からずれてしまったけれど、人間は浮き沈みがあって当たり前だと思う。うつ病になったりそう病を患ったりするのも当たり前のことなのだ。あああああああああああああ芥川も気を病んだし、志賀直哉や太宰なんかはその筆頭だし、世界でもポー、トルストイ、ゲーテ、ボードレールとかいろいろetc.etc.etc.……
小説にはその作家の辛苦が血の跡のように滲んで見えるものだと思う。本気で書いたならその思いが文体やらなにやらに表れてくるものなのだと、そう思っている。苦労して書けば、きっとその苦労して書いた文章を認めてくれるのだ。そういう認められる一瞬を求めて努力していくことが小説を書くのに一番大切なものだと思う。
でも一本のまとまった小説を書き上げるにはいろいろの壁がある。それをおおざっぱに三つに分けてみた。
障害1.テーマやアイデアの不足
障害2.文章の巧拙
障害3.モチベーション
この三つが障害になると思う。でも逆を言えば「この三つをクリアすれば小説が書ける」ということになる。ふしぎだね! だね!
打開策1. テーマやアイデアの獲得
これは作品の質に影響を及ぼすものだ。いい小説を書きたいならば、推理小説でも恋愛小説でも観念小説でも良いアイデアとテーマは必要だ。良いアイデアとテーマを出した、ノーベル賞作家の例を見てみる。
【ジョゼ・サラマーゴ】 白の闇
作品のテーマとアイデア
眼が見えなくなる病気が世界中に広がって大混乱になってしまう。
その状況で人間はいったいどういう行動を取るのか。
そこから見えてくる人間の本性とは何か?
もうこれだけで面白そうな小説の匂いがぷんぷんしてくる。面白いテーマやアイデアは人の感性をくすぐる。こういう奇想は日本人の作家だと安部公房なんかが良い例だと思う。乙一さんなんかも僕は好きだ(最近はあまり執筆しないけれど……)。
どうやってジョゼ・サラマーゴはこの「白の闇」を書いたのだろう? 僕は知らない。だから勝手に考えてみた。
仮説1.ジョゼには人間の病気や精神について学問的な知識があった。
仮説2.ジョゼは人間の本質を書きたいという気持ちが強くあった。
仮説3.ある日、それらが結びついて目の病気によって人間の本性が剥き出しになるというアイデアが浮かんだ。
まず第一にアイデアを発生しうるだけの知識が必要になる。よく、作家がいろいろな本を読んだり、経験を積んだりするのはアイデアを欲するがためだともいえる。いろいろな視点から物事を見れるようになることが必要だ。奇想のとっかかりはこういうものだと僕は思う。
そして描きたいテーマが必要だ。もしもテーマが人間の本質に着眼されていないとまったく違った内容になる。
テーマがB級ホラーの場合
恐怖の奇病は人を狂気に駆り立てた!
さあ、唯一の治療薬をめぐって壮絶な殺し合いが始まった!
テーマが恋愛の場合
目が見えなくなってもずっと一緒だよ。
二人で力をあわせていけばきっと上手くから。
テーマがSFサスペンスの場合
パニックに陥った世界を平定すべく国連は緊急の議会を開く。
各国の思惑がうごめく中、大国が宇宙人の存在をほのめかしたことで事態は急転を迎える。
あのジョゼの奇想をSFサスペンスに応用するととんでもないヘボな作品が出来上がると確信できる。テーマはアイデアとよく適合してくれるもの、説得力のあるようなものを選ばなければならない。
また知識や経験を増やすことでテーマやアイデアが生まれる機会を作ることが出来る。知識を増やすのにお勧めなのがエッセイと随筆だ。百科事典や歴史、民俗学なんかも面白いことがいろいろと書いてある。アルバイトや恋愛をしてみるのもいいかもしれない。
打開策2. 文章の上達
文を書くことはむずかしい。僕の場合、すらすらと筆が進むなんてことはまずない。頭が悪いのはあまり関係ないと思う、そう思いたい。では、書きたいことが定まっているのに書けないというのはどうしてだろう?
語彙や表現はじみちに増やすしかないので放っておこう。表現技法もえらい作家の本を読んで学ぶしかないので放っておこう。僕らにできることはひたすら本を読み、日々文章について考え、そして文章を書いてみることだ。この三つのことを心がけるしかないのだ。
よくいろんな作家の文章読本なるものが売られているが、どんなに良い指南書も一朝一夕には上達に導いてくれない。近道はない。くじけてもめげても、鍛錬するしかない。偉そうなことを書いたけれどかねがね真実だと思う。
……でも、僕は好きな本しか読まない。ちょっとでも苦痛になってきたらその作品を放り出して他の作品を読み始める。がまんできない。気に入ったものだけを何度も読み返す。飽きもせず子供みたいに読みふける。偏ってもいいからとにかく読む。それが糧になって、個性になったり実力になったりするはずだと、そう思っている。
打開策3. モチベーションの向上
人間は浮き沈みがある。僕は飽きっぽいので好きなことしか持続できない。持続しても、一ヶ月間本を読まないでいたり、文を書かないでいたりする。突拍子もなく情熱が矛先を変えて、へたくそな絵を描き始めたりもする。三日坊主とかもかなり得意分野で、つけ始めた日記が即日で終了することも二度や三度じゃない。
僕はことあるごとにこう思う。
僕はなんなんだ? どうすれば勤勉なやつになれるんだ?
……つまり、モチベーションの向上方法なんてあるのならむしろ僕が教えて欲しい。
酸いも甘いも噛み分けて、分別のある大人になって、好き嫌いも食わず嫌いもなくなって、成績や給与の上下に一喜一憂せず、敢然とひたすら前を歩み続ける。そんな人間に僕はなりたい。
でも、もし本当にそうなったらそれはそれで大変そうだ。きっと職場では部下や同僚に慕われて飲み会には引っ張りダコだろう。上司からの信頼も厚く、大きな仕事を任されるに違いない。バレンタインの日には大荷物で家に帰り、ホワイトデーではお返しの品選びに骨を折るだろう。美人で優しい僕の妻もさびしがって嫉妬して、出勤の時には四人のかわいい子供たちから「パパー! お仕事行っちゃダメー!」とか言って玄関で泣きつかれるだろう。
……あぁ、そういうのもいいけれど、きっと疲れると思う。僕はワレモノ危険のラベルが貼られているのだ。そんなに頑丈に出来ていない。ひょっとしたら心労や疲労が蓄積して過労死するかもしれない。
あぁ、過労死はイヤだ。やっぱり今のままでいい。無理してもろくなことにはならないのだ。僕はちょっと微妙な感じの人間だけど、とりわけ才能もないけど、今のままでいいのだ。成績の上下に一喜一憂していればいいのだ。あの子の視線にギクシャクしていていいのだ。
最近になって……そう思えるようになってきた。僕はもう、立派な人になることをあきらめたのだ。
それでも自分を磨こうとして「加藤諦三:人を動かす心理学 自分にあったリーダーシップを発揮する」とかいう情けない人向けの本読んだりすることがある。精神的に向上心のない者はバカなんだ! と、どうにか自分に言い聞かせて自尊心を守っている。未練がましいとか言わないで欲しい、僕は人間なのだ、こういうのは仕方ないのだ。
まとめ
なんだか最後は小説作法からずれてしまったけれど、人間は浮き沈みがあって当たり前だと思う。うつ病になったりそう病を患ったりするのも当たり前のことなのだ。あああああああああああああ芥川も気を病んだし、志賀直哉や太宰なんかはその筆頭だし、世界でもポー、トルストイ、ゲーテ、ボードレールとかいろいろetc.etc.etc.……
小説にはその作家の辛苦が血の跡のように滲んで見えるものだと思う。本気で書いたならその思いが文体やらなにやらに表れてくるものなのだと、そう思っている。苦労して書けば、きっとその苦労して書いた文章を認めてくれるのだ。そういう認められる一瞬を求めて努力していくことが小説を書くのに一番大切なものだと思う。
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